バスケ

部活動の変化
体育館からバスケットボールの音が響いていた。土曜日の午後、いつもなら男子だけの練習試合が行われる時間だ。
「やっぱり来てるじゃん」
健一が体育館の入り口で足を止める。中では女子バスケ部が練習していた。
明日香がドリブルでディフェンスをかわし、ゴール下までつけ入る。ジャンプ。その高さに健一は息を呑んだ。接地時間は短く、しかしリリースは滑らかだった。
「これ、どれくらいだろ」
みさきが巻尺を手に、明日香のジャンプの跡を測っている。
「垂直跳び...45センチ」
健一は自分の記録を思い出していた。先月の体力測定では48センチ。その差は、もはやわずかなものになっていた。
「邪魔してんじゃねーよ」
雄大が声を荒げる。でも、その声には以前のような威勢の良さはない。
「使用許可、ちゃんともらってるから」
千春が練習を止めて応対する。その姿勢は堂々としていた。
「お前ら、なんで...」
雄大の言葉は途切れる。理由は分かっている。この一ヶ月で、女子たちの身体能力は驚異的な成長を見せていた。それはもう、「女子だから」と一括りにできるレベルではない。
「一緒にやる?」
明日香が誘いかける。その声には、かつての遠慮はない。
「混合チームで」
「冗談じゃ...」
雄大が反論しようとした時、後ろから声がかかった。
「いいんじゃない?」
亮太だった。彼は既に着替えていた。
「俺は参加する」
体育館に新しい空気が流れ始める。これまでの境界線が、少しずつ溶けていくような。
「じゃあ、4対4で」
みさきがチーム分けを始める。男女混合のチーム。今までなら考えられなかった光景だ。
試合が始まる。最初こそぎこちない動きだったが、次第にプレーはスムーズになっていく。明日香のスピード、みさきの正確なシュート、千春の粘り強いディフェンス。それは、もはや「女子バスケ」ではない。
「すげぇ...」
健一が思わず呟く。明日香のクロスオーバーに抜かれ、シュートを決められた直後だった。
「なんだよ、これ」
雄大はベンチで汗を拭いながら呟く。先ほどまでの敵意は消えていた。代わりにそこにあるのは、複雑な感情。驚き、戸惑い、そして微かな高揚感。
試合後、誰もが気付いていた。これは新しい始まりなのだと。バスケットコートの上で、従来の「当たり前」は音を立てて崩れ始めていた。そして、それは学校全体にも確実に広がっていくのだろう。静かに、けれど確実に。
「ねぇ」
帰り際、明日香が亮太に声をかける。
「来週も、やろう」
亮太は少し考え、そして頷いた。これが新しい日常になっていくのかもしれない。誰もが対等にプレーできるコート。そこには、もう古い境界線は必要ないのかもしれない。

逆転

逆転の兆し 期末テストの結果が掲示された時、誰もが目を疑った。 男子:75点 女子:82点 「これ、マジかよ」 雄大が掲示板の前で立ち尽くす。今までなら「当然」だった男女の点差が、完全に逆転していた。 「うるさい」 千春が通り過ぎざまに言う。その声には軽い蔑みさえ含まれていた。 身長も、もう男子と変わらない。いや、一部の女子は男子を追い越し始めていた。 「今日の体力測定、見た?」 休み時間、亮太が健一に声をかける。 「女子の平均、もう俺たちと同じぐらいになってる」 「あいつら、調子に乗りすぎだ」 雄大が食い付く。 「なんか、態度まで変わってきてるし」 確かに、女子たちの振る舞いは変わっていた。廊下を歩く時の堂々とした姿勢。発言する時の強い口調。かつての遠慮がちな態度は、どこにも見当たらない。 「お前らさ」 明日香が男子たちのグループに近づく。もう、彼女の身長は170センチを超えていた。 「午後の清掃当番、ちゃんとやってよ」 「なんだと?」 雄大が立ち上がる。でも、明日香を見上げなければならない状況に、言葉が続かない。 「いつも適当にしか掃除してないでしょ」 みさきも加わる。 「私たちが後始末させられてるの、もういい加減にして」 「調子に乗るな!」 雄大が机を叩く。教室が静まり返る。 「調子に乗ってるのは、どっち?」 千春が冷たく言い放つ。 「今まで、自分たちが上だって思い込んでただけでしょ」 男子たちの表情が強張る。反論したいのに、できない。力関係が完全に逆転しているのを、身をもって感じていた。 「集まれ」 放課後、男子たちが体育館裏に集まっていた。 「このままじゃ、マジでまずい」 健一が声を潜める。 「なんか、対策考えないと」 「だからって、何ができる?」 亮太が暗い声で言う。 「もう、体力じゃ勝てないんだぞ」 その時、体育館から歓声が聞こえてきた。女子バスケ部の練習試合。ボールを追う素早い動き、力強いシュート。もう、そこに「女子」という言葉は似合わない。 「くそっ」 雄大が壁を殴る。 「なんで、こんなことに...」 翌日の朝。 男子たちは登校を渋っていた。教室に入る足取りが重い。 「おはよう、チビくん」 後ろから声がする。振り向くと、みさきだった。172センチの身長が、健一を見下ろしていた。 「これが、本来の姿なのよ」 千春が不敵な笑みを浮かべる。 「私たち、ずっと抑え付けられてただけ」 教室の空気が凍る。男子たちは黙ったまま席に着く。反抗する気力さえ失われていた。 「なあ」 休み時間、亮太が雄大に声をかける。 「このまま、終わりなのか?」 答えはなかった。でも、男子全員が感じていた。これは「終わり」ではない。まだ何かが起こる。抵抗するべきなのか、受け入れるべきなのか。その答えを、誰も見つけられないまま、教室の時計だけが、静かに時を刻んでいた。